2019年3月に2年間の任期を終え、4月から2期目のセンター長を仰せつかることになりました。もとより微力ではありますが、本センターが皆様にとって利用しやすく、学内外に開かれた組織となるよう引き続き努力してまいります。至らぬ点も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
我が国は令和へと大きな時代の節目を迎えましたが、アイソトープ総合センターも本学の「研究組織の在り方について(提言)」を受け、新たな研究組織の類型を選択する必要に迫られております。このような状況のもと、昨年10月末に学内外の先生方をお呼びして、「組織の在り方検討委員会」を開催いたしました。詳細はセンターのホームページでも紹介いたしますが、本センターで進められている放射線管理、教育・研究活動、社会貢献、そしてセンターが参加している全国活動についてきわめて高い御評価をいただきました。なかでも本センターの将来構想として、「当面は学内共同教育研究施設を目指すことが適切である」との提言をいただきましたことは、今後の活動を発展させる上できわめて重要な指針となりました。
本センターは学内における研究活動、教育活動を支えるだけでなく、自らの研究力強化、企業を含む学外組織との連携と社会貢献、全国的な放射線管理や放射線教育活動への貢献も強く期待されております。今後も引き続き、学内外からの期待に応えられるよう教職員一同、努力をしていく所存でおります。皆様の御支援と御協力を賜りますようお願い申し上げます。
東京大学アイソトープ総合センター長
鍵 裕之
教授 和田 洋一郎
大学院工学系研究科 先端学際工学専攻(先端科学技術研究センター) 兼務
大学院医学系研究科 分子細胞生物学 兼任
第一種放射線取扱主任者
がん患者初診時において約1/3は隣接臓器浸潤や遠隔転移を伴う進行がんであることから、外科的切除などの治療の適応とならず、化学療法や免疫療法によってのみ治療されて生存率が2割を下回っています。このような初診時進行がんに対する治療法として、近年α線内用療法の有効性が実証され医薬品開発が進んでいます。
α線は飛程が短いので、抗体などを用いたドラッグデリバリーシステムを用いて悪性腫瘍細胞に特異的に取り込ませることによって、他の核種に比べて高効率でがん細胞のみを攻撃することができます。また半減期の短い所謂“短寿命”α線放出核種を選択することによって、投与後速やかに放射能が消失し、正常組織の被ばくを抑制することができます。
例えばα線放出核種であるアスタチン-211は、サイクロトロンによってαビームをビスマス-209に照射することによって製造された後、精製されることによってドラッグデリバリーシステムの標識に利用されます。現在我が国において他のγ線やβ線放出核種と比べて20倍厳密に管理することが法律で定められているα線放出核種の利用に関わる作業者の安全を確保するとともに、今後増大するニーズを満たすアスタチン-211を大量かつ安定的に製造するためには、一連の作業効率を大きく改善する必要があります。
そこで、私達はその精製と標識の行程を自動化することによって、この問題を解決したいと考えています。従来、数理科学者との共同研究において、ヒト研究者では困難な、1分間隔で生命現象を観察するための迅速で正確な実験操作を行うヒューマノイド型ロボットを開発して実験を行ってきました。現在私達は、加速器研究者、ロボット研究者、医学研究者と協働してこのロボット技術によるα線放出核種の製造・精製・標識行程の自動化に取り組んでいます。さらに、情報工学研究者によるセンサーシステムを活用した制御技術や、数理科学者による機械学習機能の実装によって、事故予測システムや自律的な製造量最適化システムを開発し、一層安全なアイソトープの利用を目指しています。
図1. 多分野の研究者による学際的な放射線研究を通じてα線医薬品開発による地域産業振興を目指す
放射線を含めた多様な外的ストレスに対して適切に応答することで、生物は長い進化の歴史を生き延びてきました。このストレスに応答する仕組みの発達がそれぞれの種の特徴を形作ってきたといっても過言ではありません。私たちの研究室では、放射線をはじめとして様々なストレスに対する細胞レベルの応答(特に遺伝子発現)の分子機構を解明することを目指しています。特に、長鎖ノンコーディングRNAと呼ばれる一群の機能性RNAに着目したストレス応答研究を行っています。
さらに、がん細胞は特徴的なストレス応答をすることが知られています。そこで、がん細胞に特徴的な遺伝子発現の変化を解明することを通じ、がんを理解し、がんをコントロールする基礎研究にも取り組んでいます。
病気や怪我をしたとき、レントゲン撮影やCT検査などの放射線を利用した診断が日常的に行われています。このように、生体内部の構造や機能の変化を鋭敏に捉える手法として放射線は非常に優れています。さらに、紫外線、可視光、赤外線などの様々な波長の光子も生命現象の可視化に多大な貢献をしています。まさに、「百聞は一見にしかず」といえます。我々の研究室では、イメージング解析にも力を入れており、細胞レベルから個体レベルのイメージング解析によって多様な生命現象の解明や医薬品開発に取り組んでいます。企業との共同研究にも力を入れ、新しいPET (positron emission tomography) 技術の開発にも取り組んでいます。
2011年に発生した東日本大震災ならびに東京電力福島第一原子力発電所事故では、福島県を中心に甚大な被害が起きました。私たちは、事故直後から福島県浜通りで放射能スクリーニング、被ばく調査、除染など様々な活動を行ってきました。事故から8年が経過しても、未だ原子力事故の傷跡が深く残っています。放射線に関する専門家として、私たちはこれからも福島復興支援の活動を行っていきます。
我々のグループでは質量分析を用いた生体試料の解析を行っています。最新の高分解能質量分析計を用いることで、アイソトープを識別出来る分解能で質量を決定することが可能です。身の回りの物質には多くのアイソトープが含まれており、アイソトープ比を観察することで有機物中の元素組成を推定することも出来ます。我々はそのような質量分析計を用いてタンパク質の研究を行っています。
図. 質量分析計による天然のタンパク質中に含まれるアイソトープの検出
ペプチドVGEVIVTK(C38H69N9O12)の質量スペクトル
放射線照射した細胞中のタンパク質全体の解析であるプロテオーム解析、遺伝子変異のよらない遺伝子発現制御の関わるエピゲノム修飾変化を解析する事で放射線影響を調べています。このデータとセンター内のDNA, RNAの解析グループと共同でオミックス解析を目指しています。
図. 放射線照射によるiPS細胞のプロテオーム変化
センターでは福島県立医科大学、理化学研究所などと共に、がん細胞を認識する分子を利用して治療・診断用の放射性物質をがん細胞のみに送達する技術(ドラッグデリバリーシステム;DDS)を開発しています。我々のグループでは、このがん細胞を認識する分子の解析・評価を、質量分析を用いておこなっています。
図. 放射免疫療法に用いる分子の解析
天然にわずかしか存在しない安定同位体に置換したアミノ酸を用いてペプチドを合成することで化学的性質は同じで、質量だけが異なるペプチドを作成することが可能です。これを内部標準物質として生体由来の試料に混合し、高感度質量分析計を用いることでタンパク質の絶対定量が可能です。放射線によって変異または発現量が変化するタンパク質を発見した際に、その検証を行えるよう、アイソトープラベルした標準品を用いて高感度にタンパク質を定量するシステムの構築を行っています。
助教 垰 和之
放射線取扱主任者
電離放射線の照射により、細胞内にはヒドロキシルラジカルなどの活性酸素が発生します。放射線の生物作用は、これらの活性酸素が生体物質を損傷することにより起こると考えられています。生物は活性酸素に対する適応・防御の機構をもっており、放射線照射等の酸化ストレスに対して適応する仕組みをもっています。わたしたちは、この適応の仕組み、特に、酸化ストレスを感知するメカニズムについて調べています。
放射線の利用には原発事故などの負の側面があります。しかし、有益な面も多い放射線を、より有効にかつ安全にさらに合理的に利用できるよう放射化学的なアプローチから研究を行っています。例えば、放射性のヨウ素-131は、核医学において甲状腺癌の治療に使用されていますが、投与後の放射性廃液を一般排水へ放出できる濃度の限度が極めて低く、半減期が8日とやや長いため病院での治療頻度を容易に向上できないことが問題になっています。これを廃液中から回収すれば頻度が向上します。回収に適した物質や条件と探索などの研究に取り組んでいます。
平成23年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故後から、環境中に放出された放射性物質の挙動の解明に取り組んできました。例えば、社会的な関心事となったいわゆる「セシウム花粉」により放射性セシウムが大気中に再拡散され、一般市民が吸入して内部被ばくを引き起こす可能性について調査し、花粉よりも砂埃の方が影響が大きいことなどを実測して明らかにしました。また、不溶性の放射性セシウム含有微粒子の挙動や分布に関する研究も行っています。
得られた成果が、すぐに人の役に立つことを目指して、また、環境の安全安心な状況への回復に寄与したいと考えて研究を行っています。
図1. 実際に着用したマスクに付着したスギ花粉(矢印)の光学顕微鏡写真(濾紙上に集めてヨウ素で着色したもの)。右下の白線は100マイクロメートルの大きさを表す。
図2. 実際に被験者が着用したマスクとマスクに付着した放射性セシウム源のイメージングプレート像との合成像と、その部分の拡大写真。各写真の右下の赤線は50マイクロメートルの大きさを表す。
助教 杉山 暁
放射線業務従事者
私達は体内で転移したがん細胞に放射性物質をコントロールして的確に届け、診断と治療とを実現する放射性医薬品の研究開発を進めています。がんは1981年以降、35年間連続で死因のトップになっており、日本人の死亡総数の約30%を占めています。転移、再発したがんは多くの場合、抗がん剤などの耐性を有しており同じ治療方法では太刀打ちできない状態になります。したがって、これらのがんを治療するためには新たな治療法が必要であります。私は、放射性核種をがん細胞へ狙い届けることで正常細胞へのダメージは極力さけ、がん細胞のみを治療するためのドラッグデリバリーシステムの研究開発を長年進めてきました。現在は、このシステムを用いてα線内用療法、PETイメージングによるコンパニオン診断法の研究開発を進めています。
従来RI内用療法では、β線放出核種であるイットリウム90(90Y)を用いた治療法が検討されてきました。ゼバリン(ZEVALIN)はその代表例で、血液がんの1つである非ホジキンリンパ腫に対し有効性を示し高い評価を受けています。しかし、図1 に示すようにβ線ではがん細胞の2本あるDNA鎖を1本しか切断できず、がん細胞が有するDNA修復機構で修復され固形がんでの有効性が得づらいことがわかっています。そこで、DNAの2本鎖を切断する能力が高く、飛程が短いα線を転移再発した固形がんに用い新しいがん治療法の研究開発を進めています。それと同時に治療判断を行うイメージング診断技術の研究開発も進めています。現在、治療用ではα線放出核種であるアスタチン-211(211At, 半減期7.2時間)、アクチニウム-225(225Ac, 半減期10日間)、一方、診断用ではPET核種であるヨウ素-124(124I, 半減期4.2日)、ジルコニウム-89(89Zr, 半減期78.41時間)に着目し、これらを用いた治療と診断を合わせたセラノスティクス(Theranostics)の研究開発を進めています。
アイソトープ総合センターでは、小動物用CT(コンピュータ断層撮影)装置、小動物用PET(陽電子放射断層撮影)装置を使用し、ヒトのがん細胞を移植したモデルマウスでのドラッグデリバリーを放射線イメージングで解析を進めています。現在のところ、FDG[18F]、銅-64(64Cu)を用いたPETイメージングの実施実績があります。RIイメージングを進めるためには、プローブへのRI標識が重要になります。金属RIを用いる場合DOTAなどのキレート剤にRIを配位結合させRI標識プローブを作製します。今後は種々の標識方法の確立を進め、ヨウ素-124(124I)やジルコニウム-89(89Zr)でのPETイメージングを目指しているところです。
キーワード:
α線、β線、DNA一本鎖切断、二本鎖切断、ドラッグデリバリー、放射線イメージング
助教 神吉 康晴
放射線取扱主任者第1種
生物を構成し、その生理学的活性を発揮しているのは膨大な種類のタンパク質のネットワークである。国際ヒトゲノムプロジェクトによってヒトの遺伝子数や塩基配列が決定され、マイクロアレイや次世代シークエンサーに応用され、この20年弱で様々な疾患に対する我々の理解は飛躍的に高まった。しかし、ヒトゲノムが解かれてみると実は22,000程度の遺伝子しかない(ウニの遺伝子数も同程度である)ことに当時のゲノム研究者は驚いたものである。その後、非翻訳RNAやスプライシングなど、限られた数の遺伝子から作られる産物の多様性を増す仕組みが明らかになったとはいえ、高等真核生物の複雑なシステムを理解するには程遠いのが現状である。
生物の複雑な仕組みを支えている仕組みはタンパク質の複雑さにある。遺伝子はタンパク質の設計図であるが、作られるタンパク質には様々な修飾が付加され、多様性を増す。それだけではなく、例えば特定の伝達物質(例えばアドレナリン)の受容体でさえも、α1,2,β1,2,3など種類があり、それぞれに、リガンドが結合していない状態と結合している状態とでは立体構造が異なるという驚くべき多様性を生み出している。
我々の研究室では、こうした生体を構成するタンパク質の立体構造を、電子線を用いて原子レベルで明らかにし、その生理学的作用を理解するとともに、創薬への応用を視野に入れた研究を行なっている。従来、タンパク質の立体構造解析はX線を用いた結晶構造解析が主流であったが、2017年ノーベル化学賞を受賞したクライオ電子顕微鏡の普及により、電子線を用いたタンパク質構造解析に世界はシフトしている。日本はその流れに現時点では出遅れているが、我々の研究室では世界のクライオ電子顕微鏡を用いた研究室とコラボレーションしながら、技術開発を行う。
特任助教 川田 健太郎
放射線を含めた様々な外的ストレスは細胞に障害を引き起こし、その機能に影響を与えます。一方で、細胞は遺伝子発現などの細胞内分子の状態を変化させることで、ストレスによる障害を修復・軽減します。それでは細胞はこれらのストレスに対し、どのような分子機構で応答するのでしょうか?
遺伝子発現は細胞状態の基本的な調節因子の一つです。RNAは遺伝子発現の結果として合成され、機能的分子であるタンパク質を合成するための鋳型となります。また近年では、これらのRNAの多くがタンパク質の鋳型としてではなく、機能分子そのものとして働くことが分かってきました。言い換えると、遺伝子発現によるRNA合成はストレス応答の起点とも言えます。
細胞内でのRNA量は、合成と分解の組み合わせで決まります。近年、DNA障害を受けた細胞では一部のRNAの分解が止まることで、その量が増えるという現象が確認されました。そこで私たちは、この現象がより幅広い遺伝子で認められるのではないかと考え、RNAの合成と分解をゲノムワイドに評価する手法を開発に取り組んでいます。放射線ストレスを受けた細胞が細胞内RNAを制御して障害を修復・軽減するための分子機構を解明することで、被ばくの影響の軽減や、がんにおける放射線治療の効果増強につながると考えられます。
特任助教 桂 真理
日本人は自然界で生活している間に、年間一人当たり平均2.1ミリシーベルトの自然被ばくをします。これまでの研究から、150ミリシーベルト以上の被ばくをした人は統計学的に発がんのリスクがあがることがわかっていますが、100ミリシーベルト以下の低線量放射線は、疫学研究でその影響を調べることが困難です。2011年の福島第一原子力発電所事故で、多くの人々が低線量放射線の影響を危惧して避難生活を行うこととなりました。低線量放射線の影響がどれほどのものなのかを少しずつ明らかにすることで、被害にあわれた住民の方、多種多様な職種の労働者、また、次の世代の人々の役に少しでも立てればと考えます。
私は低線量放射線が人体にもたらす影響について、培養細胞や実験動物を用いた研究を進めています。アイソトープ総合センターには密閉放射性セシウム(Cs-137)線源によるガンマ線照射装置があります。この照射装置を用い、ヒトの培養細胞に長時間低線量放射線を照射した影響を研究しています。今後は質量分析装置を用いた研究も行う予定です。
内部被ばくの影響は、アルファ線やベータ線などの飛程の短い高LET放射線の影響を評価する必要があるために、吸収線量の計算が困難です。そのため外部被ばく影響と比較すると歴史的に蓄積された研究データは少数です。内部被ばくを想定し、細胞培養液に非密封放射性セシウムを添加した際の影響を共同研究者らと共にモンテカルロ法を用いた線量計算で検出する方法に取り組んでおります。
これまで分化した神経組織は放射線に抵抗性であると考えられてきましたが、ヒトの脳内(海馬)には未分化な神経前駆細胞が存在することが明らかとなり、これらの細胞は放射線感受性であると予想されます。 そこで、これまでにヒトES細胞に由来する神経前駆細胞への低線量放射線の影響を共同研究者らと研究しました。 その結果、31および124ミリグレイ/72時間の照射で種々の遺伝子発現が変動し、496ミリグレイ/72時間では細胞死に関する遺伝子も変動し始めることが確認されました(図1低線量放射線によって発現変動する遺伝子群(ヒト神経前駆細胞))。
これらの結果に引き続き、現在はヒトのiPS細胞を網膜神経節細胞(網膜が受けた視覚情報を脳に伝達する視神経を構成する)に分化させる実験系を用いて、低線量放射線による影響を網羅的に解析しています(図2:iPS細胞から分化した網膜神経節細胞)。 次世代シーケンサーを用いた網羅的遺伝子発現解析(RNA-seq)やクロマチン免疫沈降 (ChIP-seq) を用いています。 ヒトの網膜神経節細胞は胎生5週から11週で発生するとされていますが、低線量放射線に被ばくした際、どのような遺伝子発現変動が起きるのか、そのことがどのように網膜神経節細胞の分化に影響を及ぼすのかを予測するために必要な情報を集めていきたいと考えています。
図1 低線量放射線によって発現変動する遺伝子群(ヒト神経前駆細胞)
図2 ヒトのiPS細胞から分化した網膜神経節細胞