東京大学アイソトープ総合センター Isotope Science Center,The University of Tokyo

 2019年3月に2年間の任期を終え、4月から2期目のセンター長を仰せつかることになりました。もとより微力ではありますが、本センターが皆様にとって利用しやすく、学内外に開かれた組織となるよう引き続き努力してまいります。至らぬ点も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 我が国は令和へと大きな時代の節目を迎えましたが、アイソトープ総合センターも本学の「研究組織の在り方について(提言)」を受け、新たな研究組織の類型を選択する必要に迫られております。このような状況のもと、昨年10月末に学内外の先生方をお呼びして、「組織の在り方検討委員会」を開催いたしました。詳細はセンターのホームページでも紹介いたしますが、本センターで進められている放射線管理、教育・研究活動、社会貢献、そしてセンターが参加している全国活動についてきわめて高い御評価をいただきました。なかでも本センターの将来構想として、「当面は学内共同教育研究施設を目指すことが適切である」との提言をいただきましたことは、今後の活動を発展させる上できわめて重要な指針となりました。

 本センターは学内における研究活動、教育活動を支えるだけでなく、自らの研究力強化、企業を含む学外組織との連携と社会貢献、全国的な放射線管理や放射線教育活動への貢献も強く期待されております。今後も引き続き、学内外からの期待に応えられるよう教職員一同、努力をしていく所存でおります。皆様の御支援と御協力を賜りますようお願い申し上げます。

東京大学アイソトープ総合センター長
鍵 裕之

教授 和田洋一郎

教授  和田 洋一郎

大学院工学系研究科 先端学際工学専攻(先端科学技術研究センター) 兼務

大学院医学系研究科 分子細胞生物学 兼任

第一種放射線取扱主任者

専門分野 ⟩⟩
アイソトープ利用における自動化技術開発
研究内容 ⟩⟩

α線医薬品開発のハードルをクリアするための
ロボットシステム

短寿命α線放出核種をつかった医薬品開発が急速に進展している

 がん患者初診時において約1/3は隣接臓器浸潤や遠隔転移を伴う進行がんであることから、外科的切除などの治療の適応とならず、化学療法や免疫療法によってのみ治療されて生存率が2割を下回っています。このような初診時進行がんに対する治療法として、近年α線内用療法の有効性が実証され医薬品開発が進んでいます。
 α線は飛程が短いので、抗体などを用いたドラッグデリバリーシステムを用いて悪性腫瘍細胞に特異的に取り込ませることによって、他の核種に比べて高効率でがん細胞のみを攻撃することができます。また半減期の短い所謂“短寿命”α線放出核種を選択することによって、投与後速やかに放射能が消失し、正常組織の被ばくを抑制することができます。

α線放出核種の取扱いは他のアイソトープと異なっている

 例えばα線放出核種であるアスタチン-211は、サイクロトロンによってαビームをビスマス-209に照射することによって製造された後、精製されることによってドラッグデリバリーシステムの標識に利用されます。現在我が国において他のγ線やβ線放出核種と比べて20倍厳密に管理することが法律で定められているα線放出核種の利用に関わる作業者の安全を確保するとともに、今後増大するニーズを満たすアスタチン-211を大量かつ安定的に製造するためには、一連の作業効率を大きく改善する必要があります。

ヒューマノイド型ロボットによって安全で効率的な医薬品製造を達成する

 そこで、私達はその精製と標識の行程を自動化することによって、この問題を解決したいと考えています。従来、数理科学者との共同研究において、ヒト研究者では困難な、1分間隔で生命現象を観察するための迅速で正確な実験操作を行うヒューマノイド型ロボットを開発して実験を行ってきました。現在私達は、加速器研究者、ロボット研究者、医学研究者と協働してこのロボット技術によるα線放出核種の製造・精製・標識行程の自動化に取り組んでいます。さらに、情報工学研究者によるセンサーシステムを活用した制御技術や、数理科学者による機械学習機能の実装によって、事故予測システムや自律的な製造量最適化システムを開発し、一層安全なアイソトープの利用を目指しています。


図1. 多分野の研究者による学際的な放射線研究を通じてα線医薬品開発による地域産業振興を目指す

本研究に関する研究費 ⟩⟩
2015年度 挑戦的萌芽研究
「BRAF遺伝子点突然変異頻度に基づく放射線影響評価」(研究代表者)
2018〜2020年度 基盤研究(B)
「短寿命α線医薬品製造工程における被ばくを抑制するロボティック精製・標識技術の開発」(研究代表者)
2018〜33年度 JST-OPERA
「安全・安心・スマートな長寿社会実現のための高度な量子アプリケーション技術の創出」(研究開発責任者)
2019年〜2021年度 基盤研究(B)
「超選択的デリバリー短寿命α線を用いた胃癌腹膜播種内照射療法の実験的検討(代表:野村幸世)」(分担代表者)
教授 秋光 信佳

教授  秋光 信佳

薬学系研究科兼担

統括主任者

専門分野 ⟩⟩
放射線影響学、放射線イメージング
研究内容 ⟩⟩

放射線をツールとして生命現象を解明し、操作する

(1) 放射線等の外的ストレスに対する細胞応答の分子機構の解明と応用

 放射線を含めた多様な外的ストレスに対して適切に応答することで、生物は長い進化の歴史を生き延びてきました。このストレスに応答する仕組みの発達がそれぞれの種の特徴を形作ってきたといっても過言ではありません。私たちの研究室では、放射線をはじめとして様々なストレスに対する細胞レベルの応答(特に遺伝子発現)の分子機構を解明することを目指しています。特に、長鎖ノンコーディングRNAと呼ばれる一群の機能性RNAに着目したストレス応答研究を行っています。
 さらに、がん細胞は特徴的なストレス応答をすることが知られています。そこで、がん細胞に特徴的な遺伝子発現の変化を解明することを通じ、がんを理解し、がんをコントロールする基礎研究にも取り組んでいます。

(2) イメージングを活用した生命現象の解明と応用

 病気や怪我をしたとき、レントゲン撮影やCT検査などの放射線を利用した診断が日常的に行われています。このように、生体内部の構造や機能の変化を鋭敏に捉える手法として放射線は非常に優れています。さらに、紫外線、可視光、赤外線などの様々な波長の光子も生命現象の可視化に多大な貢献をしています。まさに、「百聞は一見にしかず」といえます。我々の研究室では、イメージング解析にも力を入れており、細胞レベルから個体レベルのイメージング解析によって多様な生命現象の解明や医薬品開発に取り組んでいます。企業との共同研究にも力を入れ、新しいPET (positron emission tomography) 技術の開発にも取り組んでいます。

(3) 福島復興支援活動

 2011年に発生した東日本大震災ならびに東京電力福島第一原子力発電所事故では、福島県を中心に甚大な被害が起きました。私たちは、事故直後から福島県浜通りで放射能スクリーニング、被ばく調査、除染など様々な活動を行ってきました。事故から8年が経過しても、未だ原子力事故の傷跡が深く残っています。放射線に関する専門家として、私たちはこれからも福島復興支援の活動を行っていきます。

准教授 川村 猛

准教授  川村 猛

工学系研究科先端学際工学専攻(兼務)

専門分野 ⟩⟩
生体への放射線影響、アイソトープを用いたタンパク質定量
研究内容 ⟩⟩

質量分析計とアイソトープを用いた放射線影響、
タンパク質定量の研究

我々のグループでは質量分析を用いた生体試料の解析を行っています。最新の高分解能質量分析計を用いることで、アイソトープを識別出来る分解能で質量を決定することが可能です。身の回りの物質には多くのアイソトープが含まれており、アイソトープ比を観察することで有機物中の元素組成を推定することも出来ます。我々はそのような質量分析計を用いてタンパク質の研究を行っています。


図.  質量分析計による天然のタンパク質中に含まれるアイソトープの検出
ペプチドVGEVIVTK(C38H69N9O12)の質量スペクトル

放射線の生体に与える影響

放射線照射した細胞中のタンパク質全体の解析であるプロテオーム解析、遺伝子変異のよらない遺伝子発現制御の関わるエピゲノム修飾変化を解析する事で放射線影響を調べています。このデータとセンター内のDNA, RNAの解析グループと共同でオミックス解析を目指しています。


図.  放射線照射によるiPS細胞のプロテオーム変化

放射線を用いたがん治療、診断法の開発

センターでは福島県立医科大学、理化学研究所などと共に、がん細胞を認識する分子を利用して治療・診断用の放射性物質をがん細胞のみに送達する技術(ドラッグデリバリーシステム;DDS)を開発しています。我々のグループでは、このがん細胞を認識する分子の解析・評価を、質量分析を用いておこなっています。


図.  放射免疫療法に用いる分子の解析

アイソトープを用いたタンパク質の絶対定量

天然にわずかしか存在しない安定同位体に置換したアミノ酸を用いてペプチドを合成することで化学的性質は同じで、質量だけが異なるペプチドを作成することが可能です。これを内部標準物質として生体由来の試料に混合し、高感度質量分析計を用いることでタンパク質の絶対定量が可能です。放射線によって変異または発現量が変化するタンパク質を発見した際に、その検証を行えるよう、アイソトープラベルした標準品を用いて高感度にタンパク質を定量するシステムの構築を行っています。

助教 垰 和之

助教  垰 和之

放射線取扱主任者

  •  
専門分野 ⟩⟩
放射線生物学
研究内容 ⟩⟩

酸化ストレス応答機構

電離放射線の照射により、細胞内にはヒドロキシルラジカルなどの活性酸素が発生します。放射線の生物作用は、これらの活性酸素が生体物質を損傷することにより起こると考えられています。生物は活性酸素に対する適応・防御の機構をもっており、放射線照射等の酸化ストレスに対して適応する仕組みをもっています。わたしたちは、この適応の仕組み、特に、酸化ストレスを感知するメカニズムについて調べています。


助教 桧垣 正吾

助教  桧垣 正吾

環境安全本部兼務・理学系研究科大学院担当

放射線取扱主任者

専門分野 ⟩⟩
放射化学、放射線安全管理学、環境関連化学
研究内容 ⟩⟩

放射性同位元素の合理的な安全管理に関する研究

放射線の利用には原発事故などの負の側面があります。しかし、有益な面も多い放射線を、より有効にかつ安全にさらに合理的に利用できるよう放射化学的なアプローチから研究を行っています。例えば、放射性のヨウ素-131は、核医学において甲状腺癌の治療に使用されていますが、投与後の放射性廃液を一般排水へ放出できる濃度の限度が極めて低く、半減期が8日とやや長いため病院での治療頻度を容易に向上できないことが問題になっています。これを廃液中から回収すれば頻度が向上します。回収に適した物質や条件と探索などの研究に取り組んでいます。

原子力発電所事故により拡散した放射性物質の挙動および除去に関する研究

平成23年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故後から、環境中に放出された放射性物質の挙動の解明に取り組んできました。例えば、社会的な関心事となったいわゆる「セシウム花粉」により放射性セシウムが大気中に再拡散され、一般市民が吸入して内部被ばくを引き起こす可能性について調査し、花粉よりも砂埃の方が影響が大きいことなどを実測して明らかにしました。また、不溶性の放射性セシウム含有微粒子の挙動や分布に関する研究も行っています。
得られた成果が、すぐに人の役に立つことを目指して、また、環境の安全安心な状況への回復に寄与したいと考えて研究を行っています。


図1. 実際に着用したマスクに付着したスギ花粉(矢印)の光学顕微鏡写真(濾紙上に集めてヨウ素で着色したもの)。右下の白線は100マイクロメートルの大きさを表す。


図2. 実際に被験者が着用したマスクとマスクに付着した放射性セシウム源のイメージングプレート像との合成像と、その部分の拡大写真。各写真の右下の赤線は50マイクロメートルの大きさを表す。

本研究に関する研究費 ⟩⟩
放射線災害・医科学研究拠点 共同利用・共同研究
「環状オリゴ糖を用いた新規放射性ヨウ素回収・保持システム開発」(研究分担者)、研究期間: 2016年6月-
公益財団法人放射線影響協会 平成29年度研究奨励助成金
「一般市民に低線量内部被ばくを及ぼしうる放射性セシウム中の不溶性粒子存在度の解析」(研究代表者)、研究期間: 2018年4月 -
科研費 基盤研究(C)
「コメの放射性セシウム汚染に、高濃度セシウム含有不溶性微粒子は影響しているか?」(研究代表者)、研究期間:2019年4月-
助教 杉山 暁

助教  杉山 暁

放射線業務従事者

  •  
専門分野 ⟩⟩
イメージング診断と治療を統合するドラッグデリバリーシステムの研究開発
α線放射線医薬品開発
研究内容 ⟩⟩

放射性薬剤をがんに的確に届け
診断と治療を可能にするシステム

副作用の少なく奏功率の高いがん治療法とコンパニオン診断が求められている

私達は体内で転移したがん細胞に放射性物質をコントロールして的確に届け、診断と治療とを実現する放射性医薬品の研究開発を進めています。がんは1981年以降、35年間連続で死因のトップになっており、日本人の死亡総数の約30%を占めています。転移、再発したがんは多くの場合、抗がん剤などの耐性を有しており同じ治療方法では太刀打ちできない状態になります。したがって、これらのがんを治療するためには新たな治療法が必要であります。私は、放射性核種をがん細胞へ狙い届けることで正常細胞へのダメージは極力さけ、がん細胞のみを治療するためのドラッグデリバリーシステムの研究開発を長年進めてきました。現在は、このシステムを用いてα線内用療法、PETイメージングによるコンパニオン診断法の研究開発を進めています。

強力な細胞殺傷効果を有するα線を的確に利用した新しいがん治療

従来RI内用療法では、β線放出核種であるイットリウム90(90Y)を用いた治療法が検討されてきました。ゼバリン(ZEVALIN)はその代表例で、血液がんの1つである非ホジキンリンパ腫に対し有効性を示し高い評価を受けています。しかし、図1 に示すようにβ線ではがん細胞の2本あるDNA鎖を1本しか切断できず、がん細胞が有するDNA修復機構で修復され固形がんでの有効性が得づらいことがわかっています。そこで、DNAの2本鎖を切断する能力が高く、飛程が短いα線を転移再発した固形がんに用い新しいがん治療法の研究開発を進めています。それと同時に治療判断を行うイメージング診断技術の研究開発も進めています。現在、治療用ではα線放出核種であるアスタチン-211(211At, 半減期7.2時間)、アクチニウム-225(225Ac, 半減期10日間)、一方、診断用ではPET核種であるヨウ素-124(124I, 半減期4.2日)、ジルコニウム-89(89Zr, 半減期78.41時間)に着目し、これらを用いた治療と診断を合わせたセラノスティクス(Theranostics)の研究開発を進めています。

アイソトープセンターでの放射性イメージング

アイソトープ総合センターでは、小動物用CT(コンピュータ断層撮影)装置、小動物用PET(陽電子放射断層撮影)装置を使用し、ヒトのがん細胞を移植したモデルマウスでのドラッグデリバリーを放射線イメージングで解析を進めています。現在のところ、FDG[18F]、銅-64(64Cu)を用いたPETイメージングの実施実績があります。RIイメージングを進めるためには、プローブへのRI標識が重要になります。金属RIを用いる場合DOTAなどのキレート剤にRIを配位結合させRI標識プローブを作製します。今後は種々の標識方法の確立を進め、ヨウ素-124(124I)やジルコニウム-89(89Zr)でのPETイメージングを目指しているところです。

キーワード:
α線、β線、DNA一本鎖切断、二本鎖切断、ドラッグデリバリー、放射線イメージング

本研究に関する研究費 ⟩⟩
平成26年度〜27年度 AMED 「次世代がん研究シーズ戦略的育成プログラム (P-DIRECT)」
”PETイメージング診断とアイソトープDDS治療を統合する進行大腸がんプレターゲッティング治療薬の実用化”(研究開発分担者)
平成28年度〜29年度 AMED 「次世代がん医療創生研究事業 (P-CREATE)」
”転移性進行がんの診断と治療を可能にする革新的がん細胞ターゲッティングシステムの開発”(研究協力者)
平成29年度〜30年度 JSPS 「二国間交流事業 共同研究 JSPS-STINT (日本 - スウェーデン)」
”転移性がん治療を可能にするアスタチン-211を用いたプレターゲッティング医薬品開発”(研究参加者)
平成30年度〜32年度 AMED 「革新的がん医療実用化研究事業」
”アルファ線放出核種内用療法による難治がん治療薬の開発”(研究開発分担者)
助教 神吉 康晴

助教  神吉 康晴

放射線取扱主任者第1種

専門分野 ⟩⟩
電子顕微鏡
研究内容 ⟩⟩

生物を構成し、その生理学的活性を発揮しているのは膨大な種類のタンパク質のネットワークである。国際ヒトゲノムプロジェクトによってヒトの遺伝子数や塩基配列が決定され、マイクロアレイや次世代シークエンサーに応用され、この20年弱で様々な疾患に対する我々の理解は飛躍的に高まった。しかし、ヒトゲノムが解かれてみると実は22,000程度の遺伝子しかない(ウニの遺伝子数も同程度である)ことに当時のゲノム研究者は驚いたものである。その後、非翻訳RNAやスプライシングなど、限られた数の遺伝子から作られる産物の多様性を増す仕組みが明らかになったとはいえ、高等真核生物の複雑なシステムを理解するには程遠いのが現状である。

生物の複雑な仕組みを支えている仕組みはタンパク質の複雑さにある。遺伝子はタンパク質の設計図であるが、作られるタンパク質には様々な修飾が付加され、多様性を増す。それだけではなく、例えば特定の伝達物質(例えばアドレナリン)の受容体でさえも、α1,2,β1,2,3など種類があり、それぞれに、リガンドが結合していない状態と結合している状態とでは立体構造が異なるという驚くべき多様性を生み出している。

我々の研究室では、こうした生体を構成するタンパク質の立体構造を、電子線を用いて原子レベルで明らかにし、その生理学的作用を理解するとともに、創薬への応用を視野に入れた研究を行なっている。従来、タンパク質の立体構造解析はX線を用いた結晶構造解析が主流であったが、2017年ノーベル化学賞を受賞したクライオ電子顕微鏡の普及により、電子線を用いたタンパク質構造解析に世界はシフトしている。日本はその流れに現時点では出遅れているが、我々の研究室では世界のクライオ電子顕微鏡を用いた研究室とコラボレーションしながら、技術開発を行う。

特任助教 川田 健太郎

特任助教  川田 健太郎

専門分野 ⟩⟩
放射線生物学
研究内容 ⟩⟩

放射線を含めた様々な外的ストレスは細胞に障害を引き起こし、その機能に影響を与えます。一方で、細胞は遺伝子発現などの細胞内分子の状態を変化させることで、ストレスによる障害を修復・軽減します。それでは細胞はこれらのストレスに対し、どのような分子機構で応答するのでしょうか?

遺伝子発現は細胞状態の基本的な調節因子の一つです。RNAは遺伝子発現の結果として合成され、機能的分子であるタンパク質を合成するための鋳型となります。また近年では、これらのRNAの多くがタンパク質の鋳型としてではなく、機能分子そのものとして働くことが分かってきました。言い換えると、遺伝子発現によるRNA合成はストレス応答の起点とも言えます。

細胞内でのRNA量は、合成と分解の組み合わせで決まります。近年、DNA障害を受けた細胞では一部のRNAの分解が止まることで、その量が増えるという現象が確認されました。そこで私たちは、この現象がより幅広い遺伝子で認められるのではないかと考え、RNAの合成と分解をゲノムワイドに評価する手法を開発に取り組んでいます。放射線ストレスを受けた細胞が細胞内RNAを制御して障害を修復・軽減するための分子機構を解明することで、被ばくの影響の軽減や、がんにおける放射線治療の効果増強につながると考えられます。

特任助教 桂 真理

特任助教  桂 真理

  •  
専門分野 ⟩⟩
放射線生物学・分子生物学・眼科学
研究内容 ⟩⟩

1. 低線量放射線影響研究について

日本人は自然界で生活している間に、年間一人当たり平均2.1ミリシーベルトの自然被ばくをします。これまでの研究から、150ミリシーベルト以上の被ばくをした人は統計学的に発がんのリスクがあがることがわかっていますが、100ミリシーベルト以下の低線量放射線は、疫学研究でその影響を調べることが困難です。2011年の福島第一原子力発電所事故で、多くの人々が低線量放射線の影響を危惧して避難生活を行うこととなりました。低線量放射線の影響がどれほどのものなのかを少しずつ明らかにすることで、被害にあわれた住民の方、多種多様な職種の労働者、また、次の世代の人々の役に少しでも立てればと考えます。
私は低線量放射線が人体にもたらす影響について、培養細胞や実験動物を用いた研究を進めています。アイソトープ総合センターには密閉放射性セシウム(Cs-137)線源によるガンマ線照射装置があります。この照射装置を用い、ヒトの培養細胞に長時間低線量放射線を照射した影響を研究しています。今後は質量分析装置を用いた研究も行う予定です。

2. 内部被ばく影響研究への挑戦

内部被ばくの影響は、アルファ線やベータ線などの飛程の短い高LET放射線の影響を評価する必要があるために、吸収線量の計算が困難です。そのため外部被ばく影響と比較すると歴史的に蓄積された研究データは少数です。内部被ばくを想定し、細胞培養液に非密封放射性セシウムを添加した際の影響を共同研究者らと共にモンテカルロ法を用いた線量計算で検出する方法に取り組んでおります。

3. 低線量放射線と神経との関係は?

これまで分化した神経組織は放射線に抵抗性であると考えられてきましたが、ヒトの脳内(海馬)には未分化な神経前駆細胞が存在することが明らかとなり、これらの細胞は放射線感受性であると予想されます。 そこで、これまでにヒトES細胞に由来する神経前駆細胞への低線量放射線の影響を共同研究者らと研究しました。 その結果、31および124ミリグレイ/72時間の照射で種々の遺伝子発現が変動し、496ミリグレイ/72時間では細胞死に関する遺伝子も変動し始めることが確認されました(図1低線量放射線によって発現変動する遺伝子群(ヒト神経前駆細胞))。

Katsura M et al. Effects of Chronic Low-Dose Radiation on Human Neural Progenitor Cells. Sci Rep. 2016 Jan 22;6:20027. doi: 10.1038/srep20027.

これらの結果に引き続き、現在はヒトのiPS細胞を網膜神経節細胞(網膜が受けた視覚情報を脳に伝達する視神経を構成する)に分化させる実験系を用いて、低線量放射線による影響を網羅的に解析しています(図2:iPS細胞から分化した網膜神経節細胞)。 次世代シーケンサーを用いた網羅的遺伝子発現解析(RNA-seq)やクロマチン免疫沈降 (ChIP-seq) を用いています。 ヒトの網膜神経節細胞は胎生5週から11週で発生するとされていますが、低線量放射線に被ばくした際、どのような遺伝子発現変動が起きるのか、そのことがどのように網膜神経節細胞の分化に影響を及ぼすのかを予測するために必要な情報を集めていきたいと考えています。


図1 低線量放射線によって発現変動する遺伝子群(ヒト神経前駆細胞)


図2 ヒトのiPS細胞から分化した網膜神経節細胞

本研究に関する研究費 ⟩⟩
平成27年度 挑戦的萌芽研究
「BRAF遺伝子点突然変異頻度に基づく放射線影響評価」(研究分担者)
平成27~30年度 基盤研究(A)
「エピジェネティック活性をもつ化学物質の影響把握と新たな環境リスクの予防策」(研究分担者)
  •  アイソトープ総合センター 所属者一覧
  • Update 2019/04/01
○センター長
鍵 裕之
○教授
和田 洋一郎
秋光 信佳
○准教授
川村 猛
○助教
垰 和之
桧垣 正吾
杉山 暁
神吉 康晴
○特任助教
小野口 玲菜
桂 真理
田久保 直子
中田 庸一
三木 敦子
川田 健太郎
山本 一樹(短時間)
○特任研究員
裏出 良博
小林 美佳
田口 明糸
近岡 洋子
中山 綾
中村 有子
石川 夕記子(短時間)
尾関 温子 (短時間)
和田 裕美 (短時間)
○学術支援専門職員
佐藤 修
吉田 涼子(短時間)
○技術補佐員
藤野 真幸
中田 奈津子
○客員研究員
児玉 龍彦 [東京大学先端科学技術研究センター]
興梠 貴英 [自治医科大学附属病院医療情報部]
小池 裕也 [明治大学理工学部応用化学科]
仲木 竜  [株式会社Rhelixa]
谷上 賢瑞 [Genomedia株式会社]
福田 哲也 [(株)バイオシス・テクノロジーズ]
野川 憲夫 [無所属]
○協力研究員
青山 倫久 [東京大学医学部付属病院 糖尿病・代謝内科]
石井 正純 [東京大学先端科学技術研究センター]
蕪城 俊克 [東京大学医学部付属病院 眼科]
東島 佳毅 [東京医科歯科大学難治疾患研究所]
三井 健一 [桐蔭横浜大学医用工学部]
稲垣(谷村) 恭子 [日本医科大学付属病院糖尿病・内分泌代謝内科]
藤井 清永 [聖マリアンナ医科大学分子病態情報研究講座]
近藤 祐介 [国立研究開発法人日本医療研究開発機構戦略推進部]
三浦 輝  [電力中央研究所環境科学研究所]
清和 恵美子 [Genomedia株式会社]
塚本 精一 [Genomedia株式会社]
小峰 彩  [Genomedia株式会社]
熱海 悠子 [Genomedia株式会社]
古屋 育子 [Genomedia株式会社]
青木 亮子 [Genomedia株式会社]
大迫 侑貴 [株式会社Rhelixa]
永井 直  [株式会社Rhelixa]
小尾 奈緒子 [NISSHA株式会社新製品開発室企画部企画グループ]
坂倉 幹始 [(株)バイオシス・テクノロジーズ]
土屋 正年 [ヤマト科学株式会社]
加藤 大輔 [ヤマト科学株式会社]
松井 英祐 [ヤマト科学株式会社]
菅 康祐  [三協ラボサービス株式会社]
LEE SUJIN [日本学術振興会 外国人特別研究員]
藤井 智世 [無所属]
○大学院生・研究生等
小野 久子  [東京大学大学院医学系研究科]
川口 智也  [東京大学大学院医学系研究科]
佐々木 祐司 [東京大学大学院医学系研究科]
白濱 新多郎 [東京大学大学院医学系研究科]
TANU TANZA [東京大学大学院工学系研究科]
根上 春   [東京大学大学院工学系研究科]
森井 志織  [東京大学大学院理学系研究科]
小倉 遥子  [東京大学大学院薬学系研究科]
HAN HAN [東京大学大学院薬学系研究科]
Yeasmin MST Fouzia [東京大学大学院薬学系研究科]
孫 小寧   [東京大学大学院薬学系研究科]
前田 祐太朗 [東京大学大学院薬学系研究科]
脇田 寛泰  [東京大学大学院薬学系研究科]
高橋 朋基  [明治大学理工学部応用化学科]
町元 恵瑠  [国際基督教大学]
椎津 美穂  [東京バイオテクノロジー専門学校]
○事務室
事務室長 小川 真美
庶務係  油井 聡
     大栗 真佐美
会計係  増子 和子
     上杉 将史
業務係  小坂 尚樹
     瀧上 由美
     水野 利恵